ODの件について

ひさびさに某M先輩のblogをみたので。
私のこととは限らないし、この記事を読むとも限らないけど、私はこの件について書いておかなければならないでしょう。それこそ、「気づかなかろうがこっちも書いてくれようか」です。
効用も副作用も薬の本質です。そんなことは私も十分承知の上です。それでも私はあの時ODせずにいられなかった。
私の症状は2つ。睡眠障害と視線恐怖です。今回は睡眠障害のことは省きます。視線恐怖のことについてのみ書いておきます。
不特定多数の人間がいる状態において、誰かが私を見ている、嘲笑っているように感じる。それが私に非常な恐怖感を持って襲い掛かってくる。そういう状態にいるのが今の私です。もちろん実際にはそんなことはなく、私がそう感じでいるだけに過ぎないでしょう。理性的に考えれば、まさか通りすがりの一人一人まで見ている人間がいるとも思えません。例えばサークルのメンバーのような、特定少数のみの環境なら何の問題もありません。しかし、あの時は確実にそうではなかった。大学祭の期間中を、あの環境を、特定少数の人間しかいない環境とは言えないでしょう。
私はその恐怖にどうしても耐えられなかった。いえ、正確には、耐える自信がなかった、というべきですね。だから私はODという選択をした。
ODしたとはいっても、1日分の量を朝から飲んでいっただけです。もちろん、ODそのものが問題なのであり、1日分だからいいだろう、といった量の問題ではありません。ODという時点で問題が発生している。
ODを正当化する心算はありません。ODが良くないことであるのは、議論の必要もなく当然の事実です。体に負担を掛けることになるのは分かり切っています。私が間違っているのは誰が見ても明らかでしょう。
普段はODせずにやっています。だからといって問題がないわけではない。それは、仮にそれが唯の一度であっても問題になるという類のもの。
あなたの言っていることは正論です。非がこちらにあるのも。
分かってほしいとは言いません。私は他人の感情なんて理解できるものと思ってはいませんから。私は他人の感情なんてそのほんの一部を知ることが精一杯だとしか考えていません。私はただ知ってほしいだけです。私がそのときODを選んだ理由を。それをあなたがどう受け取ろうと、それはあなたの勝手です。私が自身を正当化しようとしていると受け取ってもらっても結構です。
…支離滅裂ですね。気分の落ち着いたときに書き直すかもしれません。いまはただこう書いておくだけです。
なにかあればコメントしていくなり、なんなりとどうぞ。