イアン・ワトスン「オルガスマシン」ISBN:4877344586

オルガスマシン

amazon.co.jpマーケットプレイスで購入。さすがにもう新本では手に入らないからね。カバー上部が多少よれてるけど、特に問題って程でもないし、帯つきの初版というのは読書家からするとやっぱりちょっと嬉しいものです。

とりあえず一通りは読了。当然あとでまた読み返すけど。んーと、確かにハードコア・ウーマン・リブ小説です。ただねぇ、何か物足りない感じがする。なんだろ、面白いことは面白いんだけどなにかもう一つ足りないような。隠し味を忘れた料理みたいな、とはちょっと違うかな。いい例えが出てこないけど。

あと、上の段落にもちょっとつながるんだけど、書かれたのが1970年という今や古典に近い領域、日本語版の出版が2001年とはいえ、こんなものが、こんなぬるいものが「SF史上もっとも危険な小説」なの?って思ったりも。いや、私にこれを超えるものが書けるかって言われたらもちろん無理なんだけどね。危険なことは危険だと思うけど。作者はイギリス人だけど、「こんなものを出したらフェミニストたちに袋叩きにされる」って理由で、英語圏では出版されず、フランス語版、日本語版しか*1出版されてないのも当然かなぁ、とは思うけど。思うんだけど、やっぱりこの程度のもので?って思わずにはいられません。まあ向こうとこっちでは社会的背景とか全く別物だからそういうものなのかなぁ。

あとね、こんなの学校で読んでる女の子ってすごくアレゲだと思う。いやまあ、具体的に言うと少女セクトの内藤ちゃんのことだけど。少女セクトの作者はその意味すごく尖ってると思う。女の子にこんなものを読ませているんだから。

[ここまで 08/20 23:17, 23:25, 08/21 12:25, 08/22 01:50, 02:06]

物足りないのはエロゲーにえっちシーンが無いようなものかな、とふと思ったけど、やっぱり違う気がする。例えばKeyのAIRくらいになると、すでに取り外し可能なパーツの一つでしかないし。Summer編の遠野美凪シナリオなんかえっちシーンはバッドエンドルートにしかなかったはず。所有してしまうと問題が解決されないから当然といえば当然のシナリオなんだけど。というか既にノイズの一種と化してる気がしないでもない。んー、けどやっぱりこれも違うかなぁ… えっちシーンの無いエロゲーなんて定義からしてすでにエロゲーじゃないしなぁ。取っちゃったら美少女ゲームと呼ぶしかない。それにさすがに未来にキスをからは取り除きようがないし。雫も無理だよね。あのあたりだとえっちシーンは物語の構造的に必須なレヴェルで組み込まれてる。外したらシナリオ自体成り立たなくなってしまいます。逆にAIRとかKanonとかSense offとかデモンベインとかは取り外し可能かな。というかSense offは別にしても取り外して売ってるし。あ、いや、Sense offもドラマCDについてた体験版はえっちシーン外しただけらしいから、外して売ってたようなものかな。んー、これはすでに別の記事にするべきだと思うのでここまでにしておこう。オルガスマシンと全然関係ないし。書くか書かないかは別だけど。

[あとで読め]タグ。
ブックレビュー:オルガスマシン

[ここまで 08/21 00:03, 00:14, 08/21 12:20, 12:31]

上のを読んだり、ちょっと考えてみたりしことによると、物足りなさを感じるのはオタク的想像力のせいじゃないかな。今や現代日本のオタク的想像力・妄想力は1970年当時のSF的想像力を越えてしまった。

たぶん著者はジェイド達を人というよりも物に近い存在として捉えている。意識してそうなのか無意識的にそう書き上げたのかは定かじゃないけど。おそらくそれは社会に浸透したキリスト教的観念の束縛から自由じゃないから。つまりは父母から生まれないものは人間じゃない的思考回路。作られた人間≠人間。彼らにとって作られた人間はむしろロボットと呼んだほうが近いんじゃないだろうか。クローン人間問題ですね。

日本人読者(少なくともその一部)はジェイド達に人間を見いだす。作られた人間=人間。例えばTo Heartのマルチ、彼女は造られたロボットだけど、それでも人として扱うように*2。オタク的読者は登場する彼女達それぞれにちりばめられた萌え要素を見いだす。ただ、著者が上のようなものだから、どうしてもそれに限界がある感じ。なぜって著者は作品に、キャラクタたちに対して全くといっていいほど萌えていないから。萌える要素はあるのに、萌えていない。著者にはたぶん「萌え」という心情がなかったんだろうと思うけど。だからどのキャラクタも萌えられるキャラクタではなく、萌えることもできるキャラクタどまりがいいところ。恐らくはこれが私の感じた作品の欠如の根幹部分の一つ。

[ここまで 08/22 02:01, 02:11]

[まだあとで書く]

続きの暫定案

ロボット萌え・ヒューマノイド萌えは存在しなかったのか。そもそも萌え体験がなかったのか。萌えは当時まだ隆盛を極めていない。著者は日本かぶれではある(作品の登場人物名や講演内容、T'sガールなどに影響がある)。そもそも海外の人間が萌えを理解可能か。萌えはオタク系文化の一側面でしかないことに注意。

*1:Wikipediaによるとポルトガル語版もあるみたい。

*2:私も「彼女」という三人称を使うことでそれを示している。