不安定な精神状態と、神父様のお世話になる日。そして砂糖菓子。

何もかも上手くいかない、イライラした精神状態。こういうときは気をつけてないと、つい勢いでODとかリスカしかねないから気をつけないと。最近はダメなことばかり。飲んでる薬が効いてるのか怪しいくらいに不安定になりやすいです。きっと少しずつは進んでいるんだろうけど、そうも見えないくらいにはっきりした幻想、妄想。

人間は根本的に他人という代物を理解することはできないから、自分のことをどうにかするのは結局自分自身だけど、なにもできないという苛立ち。抑えきれない感情を無理矢理に抑える感じ。あせらなくてもいいことで、ソレを分かっていて、それでもイラついて、あせって、不安定な状態でしかいられない。

今、手元にカッターとか刃物がないのは良かった。衝動的に手首を切りつけてしまいかねないから。

誰のせいでもなく、私が勝手に不安定になっているだけ。なにに付けても感じている私の無力感。私には、なにもできない。メッセンジャー越しの会話に、キーボードを叩きつけるように、いらつきを吐き出して。自分が何をしているのかも分からなくて。なにをしようとしているのかも分からなくて。それは「何かをしようとしていた」証だといわれても、「しようとしている」わけじゃない。過去が良かったから、現在もいいなんて理屈は成り立たない。上手くいかないなんていう感情は、何かのアクションを起こしたからこそ得られるもの。そんな言葉も、上手くいかないことに意味なんてない、そう育ってきた、育てられてきた私には簡単には通じない。

きっとどんなものにも、何かしら見出すもの、拾い上げられるもの、見出される意味は存在するのでしょう。だけど今の私には、そんなものに意味なんてないとしか思えない。刹那的な、一瞬のもの。とくに私自身には。意味があるように感じても、ソレは誤解で、刹那的な一瞬の思い込みとしか思えない。意味はあるなんて言葉は甘い戯言としてしか受け取れない。

「甘っちょろい戯言から拾い上げて積み重ねて今の私が居ます」。それは彼にとっての絶対の真実。だけどそれは私にとっての真実じゃない。信じられない。絶望しか見えてこない。綺麗な言葉だけど、現実に対抗するためには相応の強度がいる。桜庭一樹の引用だけど、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。

一歩一歩は小さすぎる。それは有限を重ねたところで無限には至らないように。これもなにかの引用だったかもしれない。私には私の言葉すらないなんて下らなすぎて笑えてくる。「積み上げていく過程こそが大事。その先にある結果は必要ない。過程こそが結果と言ってもいい」。確かにいい言葉なんですけどね。私はソレを受け取れるようにはできていない。いくら努力という過程を重ねても、意味があるのは結果という果実だけ。私は根本的なレヴェルでそういう風にしか捉えられない。「捉えられない」という言葉尻を捕まえて、「捉えない」じゃないから大丈夫なんて言葉。詭弁のようだけどいい言葉。本当にいい言葉。まさに「砂糖菓子」。ケーキの砂糖菓子なんて、中空の飾りに決まってる。

だけど彼が私に伝えてくれた言葉は、私のための、私のためだけの特別製の「砂糖菓子」。もちろん中空の砂糖菓子だから現実の前にはきっと砕け散る。それでも特別製であることには変わりはない。心の片隅には引っ掛けておこう。飛んでいかないように。今味わったらきっと、本当に中空のただの砂糖菓子。味気ない、ただ甘いだけの砂糖菓子。そんなものには何の意味もない。だけど落ち着いたときに振り返って、ゆっくりと味わってみればきっと違ったものが入ってる。彼が私よりも長く生きた年月、経験に裏打ちされた確実なモノが内包されている。不安定な今には効果を持たなくても、落ち着いてからなら何らかの効用を持つもの。

今はまだ、ソレを味わうべき時じゃない。だけど、ふさわしい時がきたら、おいしいお茶と一緒に砂糖菓子を食べよう。私のための、中身の入った特別製の砂糖菓子を。

追記 (06/10)

あのときほどひどくない今なら、振り返ることもできる。砂糖菓子を味わえる心境でもないけど。さすがに暴走してるなぁ、このときは。全てのヴェクタが良くない方向に向いている状態。今はそこまでひどくないから、多少は冷静になれる。今はまだこの特別製の砂糖菓子を味わえる状態でもないけれど、その砂糖菓子は大事にとってあります。いつか味わうべきときの為に。